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暮らしにアロハ・スピリット
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暮らしにアロハ・スピリット
地球に優しいエコロジカルな古代ハワイ民族。
古代ハワイでは「自給自足と物々交換」が生活の原則。畑で作ったタロイモを主食に、山で採取した野菜や果物、海で捕った魚介類などを食べて暮らしていたといいます。服装も手製の腰布を身に付けただけの至極シンプルなもの。ちなみに当時のハワイでは、万物に神が宿るという「自然崇拝」が浸透していたせいか、必要以上のものを捕るのは「カプ」(ハワイ語でタブーの意味)といわれ、禁止されていました。さらには、川の上流部を飲み水確保のために立ち入り禁止にしたり、水耕畑から出た汚水は一度土に浸透させてから海に流すなど、生活のための細かいルールもきちんと定められていたといいます。つまり、大地の恵みに感謝し、自然の循環システムを守っていく、今で言う「エコロジー的な考え方」が生活の中にしっかり根づいていたと言っていいでしょう。
小規模のコミューン(共同体)が暮らしの単位だった。
貨幣の存在しない古代ハワイにおいては土地所有という概念がなく、各島の土地はアリイ・ヌイと呼ばれる大首長たちのものとされていました。で、彼らは島をいくつかに分割し、その下の首長(アリイ・アイ・モク)に分け与え、さらに首長たちはそれを「アフプアア」という小さな単位の土地に分割したといいます。この細分化された土地には必ず、自給自足に必要な、「漁のできる海岸線」と「飲料水や灌漑のための川」、「植物や果実を採取できる森」が含まれていました(ケーキを切り分けたような土地分割システム)。そうしたいわば、ミニサイズのコミューン(共同体・村)がいくつも作られ、人々は互いに助け合いながら暮らしていたと伝えられています。
社会を維持していくための「カプ」という規則。
カメハメハ大王によって全島の統一がなされる以前のハワイは、いくつかの国に分かれていて、階級社会が形成されていました。階級社会は「カプ」と呼ばれる規律によって維持されていたといいます。カプは生活全般に渡り、男女は一緒に食事をしない、階級の異なる者同士の恋愛はご法度、季節によっては食べてはいけないものを定めるなど、かなり厳しい規則が存在したようです。もちろん、人民を管理するための無意味な規則があったのは否めませんが、前述の「必要以上の果実や魚、動物を捕らない」をはじめとするエコロジー的な規則や、消化に悪いゆえ「女性はココナッツを食べてはいけない」など、健康に関係した規則が多く存在したのを見るかぎり、カプは、古代ハワイにおける“生活の知恵袋的な意味”を果たしていたようにも思われます。
自然や他者との共存の中から生まれた「アロハ・スピリット」。
ライフスタイルとは少々異なりますが、ハワイの先住民を語るうえで絶対にはずせないのが「アロハ・スピリット」。最近では「アロハ」=「ようこそいらっしゃいました」という挨拶の意味にとられることも多いようですが、本来「アロハ」とは、古代からハワイの人々の中に受け継がれてきた「心の在り方」を意味します。他者に対する友愛や尊敬の精神を言葉にしたもの、とでもいったらいいでしょうか……。誰に対してもオープン・マインド&ハート・ウォーミングな心を持っていたからこそ、ハワイは西欧人や移民たちを受け入れ、現在のような多民族の島へと発展していったとも言えそうです。このアロハ・スピリットも、もとを辿れば、物々交換をはじめとする暮らしの中で育まれた「分かち合いの精神」が基本になっていると思われます。
古きよきハワイの暮らしを実践するホア・アイナ教育農場。
今やすっかり西欧化が進み、大地とともにあった古代ハワイ人のライフスタイルは、過去のものとなりつつあるようですが……。そんな伝統的な暮らし方を、もう一度見直そうという目的で生まれたのが、オアフ島の西端のマカハという土地にある教育農場「ホア・アイナ」(友情を分かち合う地の意味)。ここはいわば、ハワイの伝統や精神を復活させ後世に伝えていくための“実験共同体”のようなもので、太陽と雨に感謝しながら野菜を育てたり、宿泊しながら共同作業を行ったりと、さまざまな体験学習が用意されています。狭い谷沿いの土地を利用した農場は、かつて自給自足生活が行なわれていた「アフプアア」(前述)そのもの。チビッコたちはここで、野菜の種を蒔きながら「ゆっくり眠って、大きく育てよ!」と声をかけるなど、自然の恵みに感謝する気持ちを学んでいくといいます。
歴史を語るハワイの作物たち
気候温暖なハワイでは、様々な農作物が栽培されていますが、代表的なものといえば、古代のハワイで主食とされたタロイモ、ポリネシア人によってハワイに持ち込まれたサトウキビ、そしてトロピカル・フルーツの代表パイナップル。どれもハワイに住む人々にとっては単なる食料としてだけでなく、歴史を語るうえにおいても深い意味を持っているようです。
タロイモは人間の兄弟と言われる神聖な食べ物?
「タロイモ」は古代の生活に欠かせない農作物だったためか、ハワイには神話が多く伝えられています。中でもポピュラーなのが「タロイモが人間と兄弟だった」という伝説。空の神「ワケア」と陸の神「パパ」の間に初めて子供が産まれましたが残念ながら死産。遺体を土に埋めたところ、そこから芽を出したのが「タロイモ」だったとか。その後、二人の間には二番目に女の子「ホオホクカラニ」、三番目に人間の先祖となる「ハロア」が誕生します。このことから昔のハワイでは、男女が一緒にタロイモを食べてはいけないという言い伝えもあったようです。タロイモは、主食として用いられることは少なくなりましたが、肥満気味の人の多い最近のハワイでは、ダイエット食としても再び注目を集めています。 現在は、ハワイでとれるタロイモの6割以上がカウアイ島産です。
(写真)
カウアイ島リマフリ・ガーデンでは、千年以上前のタロイモの段々畑が保存されています。常にきれいな水が供給されないと育たないタロイモは古代の人々の知恵によって斜面を利用した畑で栽培されたのです。
ハワイ人のライフスタイルを変えたのはサトウキビ
サトウキビはポリネシア人によってハワイに持ち込まれたのが起源ですが、本格的に栽培が始められたのは1835年、米国本土から渡来した白人がカウアイ島にサトウキビ産業を起こしたのがきっかけ。サトウキビ栽培には大量の労働力が必要だったため、日本やフィリピン、韓国などから移民を募ることになり、現在のようなハワイの多民族社会が誕生することになりました。また、栽培には大量の水が必要なため、川の水を灌漑に利用することになり、その影響を受けてタロイモの栽培は激減。ハワイの人々の生活は大きく変化することに。つまりは善くも悪くも、サトウキビ産業が、ハワイの近代化に拍車をかける要因となったのは間違いないでしょう。現在、サトウキビ産業は規模がずいぶん小さくなっていますが、ハワイの歴史にとって大きな意味を持つ作物であったことは確かなようです。
(写真)
とくにマウイ島は、かつてサトウキビ産業で栄えた島で、収穫したサトウキビを運ぶ列車が、今も観光用のアトラクションとして残り、人気です。 写真は精製していないブラウン色のマウイ・シュガー。
パイナップルの島からリゾートの島へ
サトウキビと並んで、ハワイの産業の一端を担っていたのが「パイナップル」。ラナイ島がかつて「パイナップル・アイランド」と呼ばれていたことでも分かる通り、島全体がパイナップル畑に覆い尽くされていたといいました。しかし、近年はアジア産のリーズナブルなパイナップルが出回るようになり、徐々にパイナップル産業は縮小へ。現在、ラナイ島は観光の島へと転換を図り、高級リゾートの島として発展を遂げて、パイナップルは島のシンボルとして残っています。もちろん、パイナップルはアロハシャツやキルトのデザインのモチーフとしても盛んに使われているし、作付け面積は減ったものの名産品として味わうことは可能です。ぜひハワイを訪れたなら、一度は現地産のパイナップルを味わってみましょう。